コラム:『教えてチャン』に気をつけよう

 便利な時代になりました。
 のっけからナンの話だ、と思われるかもしれません。インターネットの話です。

今やインターネットを通じて(ほぼ)世界中の人々と気軽に情報のやり取りが出来ますし、分からないことがあれば検索サイトにキーワードを入力するだけで膨大な知識の集積に触れることが出来ます。このウェブサイトもその恩恵に預かっているわけですが、約20年前、大学の古いMacでNetscape(!)を立ち上げる度に「これは凄い!」と喜んでいたアラフォーの身にとっては本当に便利で凄いことになったと思います。
余談ながら、科学を背景とするので当然と言えば当然かもしれませんが、トレーナー業界にはIT好きの方も多く、古くからのMacユーザーであったり様々なソフトをご自身のトレーニング指導に活用している方々も少なくない印象です。私自身は簡単な資料や動画作成、機体のメモリ増設にハードディスク交換程度しか出来ませんが…。

いずれにせよ、今ではTwitterやFacebookを通じてトレーナー仲間の活動ぶりをほぼリアルタイムで把握することも可能ですし、地方や海外で活躍されている方々とダイレクトにコンタクトを取ることも出来ます。

ただ、最近個人的に気になるのが、そうしたネット上でのコミュニケーションツールの使い方です。例えば、トレーニングプログラムを考える上で分からないことがあった際、今までの

①:自分で書籍や文献を探す
②:身近な人に聞く

といった手段に加えて、

③:ネット上で発言して不特定多数の人に聞く

といったことが可能になった(なってしまった?)わけですが、言わずもがな、③は①、②を経た上で「色々調べたけどどうしても分からないので、どなたかヒントを頂けますか?」という、言わば「最後の手段」のはずです。にも関わらず、最近はネットで検索すればすぐ分かるようなことですら、TwitterやFacebookで簡単に質問を上げてしまっているようなケースも目にします。ネットの世界ではこうした人を『教えてチャン』と皮肉を込めて呼んだりもするのだとか。

当たり前ですが、誰かに何かを答えて(応えて)もらうということは、その人にそれなりの時間と手間を取らせることです。ましてや、会ったこともない人なら尚更です。自分が何気なく発したネット上の質問に対して、善意とともに答えてくれる人がたまたまいた場合、その人は会ったこともないあなたのたった数百文字(Twitterに至っては140文字しかありません)のクエスチョンの意図を汲み取り、咀嚼し、そして失礼のない文章に仕上げて知識や情報という大切なものを提供してくれているのです。

繰り返しますが、これは結構な手間であり労力です。仲間同士で「この分野はあいつが詳しいからちょっと聞いてみよう!」といった程度ならまだしも、そうでなければそんな「最後の手段」を簡単に使っていいわけがありません。ましてや、軽い口調で「〇〇について知ってる人~?」みたいな聞き方では社会人としての常識すら疑われてしまうでしょう(答える方も同様です)。そしてもちろん、何よりも大切なこととして、自分の手間と時間をかけて学んだ内容の方が遥かに身につくものだということも忘れてはいけないでしょう。

かく言う私自身も、沢山のトレーナー仲間や異業種の方々に多くのことを教わりっぱなしです。ですが、便利な時代になったからこそ、その便利なツールを使ってまずは自分で、探し、調べ、読み解きながら、少なくとも『教えてチャン』にならないようにしなければ…と心がけています(と言いつつ、色々お手間を取らせてしまっている皆様、いつも本当にすみません:苦笑)。

トレーニングの現場同様、ツールに“使われる”ことのないスタンスを常に大切にしたいものですね。