謙虚と自信と

 今以上に生意気だった中学生の頃、私の名前を指して「謙治の“謙”は謙虚の“謙”!」と先生が何度も注意してくれたことをよく覚えています。卑屈さではない謙虚さ、過信ではない自信、こうした辺りの見極めやバランスはご存知の通り実に難しく、お調子者の私などは常に修行不足を痛感させられます。

 反面教師、と言ってはなんですが先日参加した研修会でもこんな講演者さんを目にしました。

 その人は、トレーニング指導者対象の講演にも関わらずのっけから「トレーニングってつまらないですから」などとドヤ顔で述べてしまったり、「トレーナーは社会人としてのマナーや常識が足りない」と上から目線で語っておきながら、当の自らがその日の会場キャパシティや参加予定者数すら把握していないような状態でした。講演内容に関してもトレーナー業界の人間なら誰もが気づいているような内容ばかりでしたから、これではいくら自信満々に喋られても、それは過信にしか見えません(少なくとも自分にとってはそうでした)。

「なんだかなあ…」と苦笑しながら私がふと心配したのは、若手トレーナーさんや学生さんの中には同様の印象を抱いたにも関わらず、「全国的な研修会に呼ばれる人だから」というだけでこうした人を無条件に尊敬しようとしてしまう場合もあるのではないだろうか、ということでした。

 同じような例は、欧米のトレーナーさんが講師を務めるセミナーなどにおいても見受けられます。話の内容は実は基本的なことで、それを改めて噛み砕きながら面白く、分かりやすく伝えてくれているだけなのに(向こうの方々はそういうのが本当に上手ですよね)、また、彼らがもっと参加者の声を聞きたそうに “Any question? Are you OK?”と笑顔で促してくれているのに、相手が外国人だというだけで変に緊張してしまい、迷った末に質問の手を挙げそびれてしまう、といったような光景です。

 これらは謙虚と呼ぶには余りにも大人しすぎるスタンスで、実にもったいないと思うのです。

 我々中堅世代のトレーナーがよく口にする話題に、「今の若手は本当によく勉強している」ということがあります。実際、大学や専門学校のうちから日本を代表するトレーニング指導員やアスレティックトレーナーの方々から直々に知識や技術を教わっている若者たちも多く、むしろ羨ましいくらいです。こうしたバックグラウンドがあれば、必要以上に引っ込み思案にならなくともいいのではないでしょうか。

 過信ではない自信とともに、「この人はなんか違うなあ」と素直に批判したり、卑屈さではなく謙虚さとともに「Excuse me, can I ask a question?」と手を挙げたりしてみること。これらは悪いことでも何でもないはずです。

 かく言う私も特に「先生」や「講師」などと呼ばれる立場でお仕事をさせて頂く際には、いい意味での自信と謙虚さを忘れずにせめて皆さんの反面教師にだけはならないようにせねば、と改めて気を引き締める次第です。

 そんなことを思い起こさせてくれたという意味では、あのドヤ顔の演者さんにも文字通り謙虚に(?)感謝しています。……いや、でもやっぱりあれは真似したくないなあ……(苦笑)。